秋野豊氏の夢を追う−メルマガ「ユーラシア・ウォッチ」スタート (広瀬佳一)
1998年7月20日、筑波大学助教授であった秋野豊氏は、国連タジキスタン監視団の政務官として活動中に凶弾に倒れた。この事件は、ポスト冷戦期の民族紛争・地域紛争解決が容易でないことを印象づけるとともに、日本人の国際貢献の難しさを浮き彫りにしたので、ご記憶の方も多いだろう。私は、大学院で秋野氏の叱咤激励のもと、博士論文を書き上げた。しかし私にとって秋野氏は、単なる学問上の指導者にとどまらなかった。そのエネルギーに満ちあふれた鮮烈な生きざまには、常に触発され、啓発された。秋野豊ユーラシア基金のメールマガジン創刊にあたり、私はここで秋野豊氏について、少しばかり振り返ってみたい。
《三つの顔》
秋野氏は、三つの異なる顔を持っていた。第一に秋野氏は、学者・歴史家であった。ジャーナリズムに登場する場面が多かったために行動派国際政治学者と見られがちだが、実は外交文書のほこりのなかにまみれて、歴史の息遣いを感じながら史実を織りなす外交史家でもあった。死後に刊行された博士論文『偽りの同盟』(勁草書房)は、第二次世界大戦中のチャーチルとスターリンの息詰まるような駆け引きを緻密に分析した書である。
第二に秋野氏は、型破りの教育者であった。ゼミでの議論が白熱してくると、深夜遅くまで授業を続行した。また教室のみならず、廊下でも、キャンパスの芝生の上でも、お寿司屋さんでも、どこでも学生と議論をした。秋野氏の教育に対する姿勢は、シラバスにしたがって講義を行い、学生に知識と情報を与えるというだけのものではなかった。むしろ生きざまそのものを真正面からぶつけることで、学生を刺激し、何かを感じ取らせようとした節があった。
第三に秋野氏は、国際ジャーナリストであった。歴史が大きく変動するうねりを感じとった秋野氏は、1987年くらいから頻繁にソ連、東欧に出かけ、現地でしばしば「自分は国際ジャーナリストだ」と名乗っては、反体制派の知識人やゲリラの幹部などと会っていた。1992年頃からは、その眼差しは本来の専門であるロシア、東欧のみならず、中央アジア、東アジアへも向かった。
「ユーラシア」という視座を持つことの必要性を感じはじめていたのである。その頃書かれた論文は死後に『ユーラシアの世紀』(日本経済新聞社)として刊行された。
私は、秋野氏がタジキスタン行きを決意したとき、新たな挑戦を試みたのだと思えてならない。平和のための調停者、紛争解決のための実践家を目指したのである。「学者」とか「国際ジャーナリスト」という、いわば国際紛争の傍観者では収まり切らなくなったと言ってよいだろう。
《夢の継承》
残された者の課題は、秋野氏の夢をどのように受け継ぐかであった。秋野氏のような人材を育てようというのは並大抵ではない。しかし、秋野氏の精神、考え方を少しでも多くの人に伝え、同じような志を持った若い人々を応援することは、意味があると思われた。
冷戦が終わり平和に対する期待は大きく高まったにもかかわらず、現実にはバルカン、中東、中央アジアなど各地でかえって紛争が勃発し、多くの犠牲者を生み出している。ところがこうした状況を直視し、紛争現場に根ざした研究を志す人々や国際貢献を行う人々は、日本ではまだ少ないうえに、たとえそういう考えを持っていても、経済的に厳しい環境に置かれているのが実
情だろう。そこで、未亡人である秋野洋子氏と相談しながら、ユーラシア大陸の紛争現場に根ざした形で、紛争解決・安全保障研究を志す若い人々を支援するという目標を掲げ、基金を設立することになった。こうして1999年7月20日、「秋野豊ユーラシア基金」が誕生した。主な事業として、次の三つの柱を定めた。
1.ユーラシア紛争調査研究プロジェクト「秋野豊賞」
2.ユーラシア大陸の平和と紛争についての啓蒙・普及活動
3.国際交流・国際理解教育
このなかでもっとも重要なのが「秋野豊賞」である。これはユーラシア大陸の紛争および安全保障の問題について、海外での調査を踏まえて研究活動を行う熱意を持った人への経済的な支援を行うものである。すでに第4回までが実施されたが、幸いなことに毎回3倍以上の倍率の応募があり、その中から合計で11名の方々に「秋野豊賞」が授与されている。彼ら受賞者は、「サッカーを通したボスニア紛争の予防」、「グルジアの平和構築プロセス」、「タジキスタン紛争に対する国際機関の調停努力」、「イスラエル・パレスチナ紛争の政治分析」など、意欲的なプロジェクトを掲げ、民族紛争、地域紛争の解決に貢献したいという熱意を持って調査・研究に臨んでいる。
今回、創刊することとなったメールマガジン「ユーラシア・ウォッチ」は、上の第二の柱、つまりユーラシアの平和と安全保障への認識を深め、理解を広げるという目的を持っている。登録をしていただいた方々には、秋野豊賞受賞者たちからのフレッシュな情報や、ユーラシアの紛争と安全保障に関する解説、最新の関連文献紹介などを提供していきたいと考えている。末永くお付き合いいただければ幸いである。
(ひろせ よしかず) |