
第11回秋野賞:審査を終えて
審査委員長 伊東 孝之(早稲田大学政治経済学術院教授)
昨年7月につくば市で開かれた秋野追悼十周年メモリアル・コンサートに出席して、今さらながら秋野氏にゆかりのある人々が多方面で活躍していることに驚かされた。大きなコンサートだったが、その全曲を作詞作曲したのは米国ボストンで活躍している音楽家、阿部恒憲氏である。阿部氏は筑波大学で秋野氏の薫陶を受け、はじめは外交官になるつもりだったが、途中で音楽家になる道を選んだという。総合司会をしたのはやはり筑波大学で秋野氏の教えを受けたNHKアナウンサー、寺内夏樹氏。そのほか、ILO職員の小山淑子氏、NGO活動家古本建彦氏なども大いに弁を振るった。テキサス大学で教鞭を執り、昨年一時帰国した比較政治学者、前田耕氏も筑波大学時代に秋野氏の薫陶を受けている。
早稲田大学で開かれた秋野追悼十周年記念シンポジウムでは、第2回(2000年)秋野賞受賞者で、日本紛争予防センター事務局長の瀬谷ルミ子さんが司会をした。その瀬谷さんは去る4月21日にNHKで放映された報道特集番組の主人公であった。国連の仕事でスーダン南部に飛ぶ。民兵がカラシニコフをガチャガチャといわせながら通り過ぎる。そんな中を瀬谷さんは涼しい顔をして歩く。難民キャンプで学校に行きたいという元少年兵に出会う。顔に恐ろしい痣のある司令官に会見を申し入れる。少年を軍務から解いて、学校に行かせてほしいと頼む。その自信に満ちた態度には感服した。
森絵都(もり・えと)という児童作家がいる。2006年に短編小説『風に舞い上がるビニールシート』を発表し、直木賞を受賞した。国連難民高等弁務官(UNHCR)事務所に勤める日本人女性を主人公としている。UNHCRは難民の保護が仕事だ。当然、その主たる活動舞台は世界の僻地、問題地域である。快適な生活は望むべくもなく、死と隣り合わせで生きなければならない。事実、毎年のように死者が出ている。主人公のアメリカ人の恋人もまたアフリカで死ぬ。そんな職場に応募する日本の若い女性が増えている。小説はドラマ化され、この6月からNHKで毎週土曜日に放映されている。またまた応募者が増えることだろう。
このように秋野氏が蒔いた種は着実に芽を出し、日に日に育ちつつある。心強い限りである。
第11回秋野賞は2009年5月11日(月)に締め切られた。応募者の数は昨年に比べて微増して13名であった。応募者の研究対象地域は今年も多彩で、中東、中国、スリランカ、東ティモール、タイ、ボスニア、コソボ、コーカサス、ネパール、イラク、アフガニスタン、ドイツ、フランスなどに及んだ。いつものように審査は二段階に分けて行われた。候補者は事務局段階で数名に絞り込まれて、その書類が名前を伏せられて審査員のもとに送られてくる。5名の審査員は、目標が明確・具体的か、計画が体系的で目標の実現に適切か、現地調査を有効に活用できるか、有意義な報告が期待できるかの4項目について、それぞれ採点し、それを事務局の方で集計して順位を決定する。最終的には理事会の持ちまわり審議で上位2名の採用が決定された。
年々趣旨が徹底しているようで、最終選考に残った候補者の調書は非常によくできていた。目標が明確に絞られ、具体的となっている。漫然と現地に行くのではなく、周到に計画を練っている。すでにNGOなどの活動家として現地に滞在経験があり、現地感覚があって無駄なく調査機会を利用できるという印象が強い。多くは現地調査を博士論文のような大きな研究計画の中に位置づけている。
ただ、3年ほど前の講評でも指摘したことだが、援助する機関や団体の調査・研究めいたものが散見された。OSCE、EU、NATOへの聞き取り調査を中心にしたもの(したがってウィーン、ブリュッセルが主な調査地)、独仏和解をめぐりドイツとフランスにおける教科書問題についての聞き取り調査を中心にしたもの、民間軍事会社(PMC)調査のため米国での本社における聞き取り調査を計画したものなど、いずれも大変興味深い内容だが、これらは他の奨学プログラム等で十分、実行可能であり、秋野豊賞ならではのプロジェクトかと言われると、やや違和感がある。紛争解決活動ではなく、紛争解決そのものを研究の対象としていただきたい。
以下、採用された2人の研究計画をアイウエオ順で講評する。
まず、「タイ=ビルマ国境地域の難民キャンプにみる『人間の安全保障』確保 − 安全共同体としての国家と少数民族の紛争の狭間に生きる人々 − 」。申請者は久保珠美さん。立教大学法学部卒で、現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程に在学中。すでに立教大学に在学中にタイのチュラロンコン大学に1年留学の経験があり、さらに大学院在学中に在タイ日本国大使館に外部委嘱員として2年間勤務したことがあるという。
ビルマが独裁国家であることはよく知られているが、多民族国家であることはあまり知られていない。ビルマは1962年のクーデタで「議会制民主主義から社会主義へ」移行し、それと同時に「国家に対する諸エスニック集団の蜂起」が起きた。それが今日のタイにおける難民問題に結果している。申請者の関心は難民キャンプにおける「人間の安全保障」に注がれている。調査研究にはオーラル・ヒストリーの方法、マクロデータ・アプローチを採用するという。インタビュー相手の選定、各種機関との連絡、詳細な調査計画など、よく準備ができている。また、調査は博士論文の執筆計画と密接につながっている。
他方で、やや研究目的が分裂しているという印象を受ける。つまり、難民の人間安全保障への関心とビルマの政治体制への関心とである。当然、前者が中心であり、下からのエンパワーメントの実態把握などを目指しているが、問題の根源はタイ側ではなくビルマ側にある。難民をタイ社会に同化させるべきか、それともそのアイデンティティを維持し、ビルマ社会に送り返すべきか。申請者はタイ語をよく知っていてこれは大いに役立つと思われるが、たぶんビルマ語は知らず、ましてその少数民族の言語は知らない。それから生じる問題をどう解決するか。後者については比較政治学の民族問題論が役に立つかも知れない。ビルマの少数民族がすべてK.ドイッチュのいう「安全共同体」かどうか。単なるエスニック集団にとどまっているケースもあるだろう。単なるエスニック集団を「安全共同体」に転化させるものはなにか。どうしてある場合には国家がエスニック集団にとっても「安全共同体」として機能し、他の場合には機能しないのか。一つの国家における諸民族間の平和はどのように保たれるのか、などなど。
次に、「移行期正義(transitional justice)におけるローカルな規範・制度 − 東ティモールのコミュニティ和解プロセス(CRP)の事例から − 」、申請者はクロス京子さん。京都外国語大学を卒業後、大阪大学大学院国際公共政策研究修士課程を経て、現在、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程に在学中。
「紛争や抑圧体制」からの「移行期」において、しばしば「西洋的正義」システムではなくローカルな正義システムが採用され、それが国際レベルで承認されることがあるという。申請者はそれを東ティモールに関して実証し、「移行期正義」にどのように「現地制度や実行を採用すべきか」を考察したいという。非常に興味深い問題である。テーマがよく絞られている。しかも申請者の研究は現地調査前にかなり進んでいるという印象がある。国際関係論、国際法の分野においてきわめてユニークな視点である。
学術的には興味深いが、実際の研究にあたっては多くの困難を伴うことが予想される。まず、申請者が「主流」と呼ぶ見方とは違って、ローカルな規範や制度が優勢となるのが一般的なパターンであると思われる。それは「移行」が外国勢力によって押しつけられるか、国内勢力によってなされるかにかかっているが、国際的な規範や制度が優勢となるのは前者においてのみであって、それも国際機関は能力の関係で大部分を現地勢力に委ねざるを得ないのである。次に、ローカルな規範や制度はケースごとにまったく異なっているので、一般化できないし、「移行期」社会においてはそもそも規範や制度が整備されている例が少ない。つまり、ローカルな規範や制度といわれるものはかなり恣意性をもつ。第三に「移行」を定義する必要があるが、「紛争や抑圧体制」から平和や民主主義への「移行」であるとした場合、旧勢力と新勢力の間の相互安全保障(R・ダール1971年)が大前提となる。つまり、完全な「正義」は不可能であって、時間が経てば経つほど「過去の清算」(オドンネル=シュミッター1986年)あるいは「拷問者問題」(ハンチントン1991年)の解決が困難となる。したがって、規範や制度というよりも政治的な妥協が中心であり、しかもきわめて短期間の事象となる可能性が高い。このように複雑だが、大いに検討に価する問題であることもたしかである。
秋野賞の趣旨は、わが国の研究者、活動家の紛争解決能力を高めることである。本年度の秋野賞がそれに少しでも貢献できればさいわいである。
©秋野豊ユーラシア基金
