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第10回秋野豊賞、受賞者決まる!

第10回秋野豊賞受賞者は以下の3名の方々に決定しました。

 


受賞者
テーマ:権威主義体制下の紛争勃発メカニズム
    −カザフスタン2007総選挙とキルギス2005年総選挙の比較を中心に−
受賞者:東島雅昌(ひがしじま まさあき) 1982年生
    早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程在学

テーマ:難民に対する国境封鎖に関する研究
    −マケドニアにおけるコソボ難民の処遇と国際法の役割を中心に−
受賞者:山本哲史(やまもと さとし) 1974年生
    名古屋大学大学院国際開発研究科修了
    東京大学総合文化研究科リサーチフェロー(非常勤)

テーマ:内戦における戦闘員のリクルートメントと個人の紛争参加
    −カンボジア除隊兵士に対するインタビュー調査−
受賞者:窪田悠一(くぼた ゆういち) 1977年生
    ニューヨーク州立大学アルバニー校博士課程(政治学部)在学

講評

第10回秋野賞:審査を終えて

審査委員長 伊東 孝之(早稲田大学政治経済学術院教授)

 今年は国際政治学者、秋野豊氏の10周忌にあたる。その悲劇的な死を記念して設立された秋野豊ユーラシア基金は、毎年「ユーラシア大陸の紛争および安全保障の問題」のための研究プロジェクトを募集し、すぐれたものに秋野賞を授与してきた。その秋野賞も今年で10周年を迎えた。
 
観察者であるべきか、参与者であるべきか。社会科学者がいつも悩まされる問題である。自然科学においては研究者が参与者になるということはまずあり得ない。研究対象がそもそも参与できない性質のものだからだ。しかし、人文科学や社会科学は人間の営みを研究の対象とする。たしかに考古学においては参与できないだろう。しかし現代史研究においてはひょっとしたら参与できるかもしれない。社会科学は主として現代の社会現象を研究対象とするので参与の可能性大である。参与できるか否かということとは別に、対象が人間の営みであることからして追体験できるし、感情移入もできる。そこにこそ人文科学、社会科学の研究の本質がある(ウェーバーの理解社会学)。
 
観察者か参与者かというジレンマは秋野賞が対象とするような紛争研究においてとりわけ深刻である。紛争は現にわれわれの眼前で起きている。そこで胸をかきむしられるような数々の人間的悲劇が繰り広げられている。ベトナム戦争があれほど人々の関心を呼び起こしたのは、テレビを通じてその映像が茶の間に飛び込んできたからだ。われわれは単なる傍観者、観察者であっていいのか、それに関わるべきではないのか。人々は日ごとにそのような問いを発することになる。
 
参与するといっても、われわれの可能性は限られている。ほとんど無視できるといってもよいかもしれない。しかし、大規模な人間的悲劇を前にして手を拱いていてよいだろうかという思いがある。実際にその気さえあれば参与することは不可能ではないのだ。もし自分たちの政府がその紛争に関わっておれば政府を通じて間接的に関わることができる。今日では現地で活躍するNGOや国際機関の活動家として直接に関わることもできる。基金がその名を冠している故秋野豊氏の例が示すように、参与者でもあろうとする姿勢にこそ紛争研究の本来的な姿があるといえよう。過去の秋野賞の応募者、受賞者にも多くの参与者が名を連ねている。
 
しかし、参与が実効的であるためには十分な準備がなければならない。そのためには冷徹な観察者、分析家であることが必要である。この春にカリヴァスの『内乱における暴力の論理』という本を読んだ(1)。古今東西のありとあらゆる内乱を取り上げているが、事例として詳しく考察しているのは第二次大戦中のギリシアである。ギリシアではまずイタリア軍、次いでドイツ軍に占領されて恐ろしい内乱が勃発した。どの村でも残酷な殺しあいが起き、多くの犠牲者が出た。なぜ、どのようにしてそのような殺しあいが起きたか、エスカレートしたか、また沈静化していったかを政治学の手法を使って克明に分析している。筆者は実はギリシア出身で、子供のころ自分の故郷の村で起きたかもしれないことを述べているのだが、その叙述はしばしばぞっとするほど冷静で、人ごとのように突き放している。よくもまあこのように冷たい書き方ができるものだと驚いたが、考えてみると社会科学者は研究対象に対して十分な距離感をもたなければならない。それでこそ正しい認識ができ、参与するときにも役立つ。
 
はたして外部の者は参与することが許されるか。どこまで許されるか。これもまた紛争研究者を悩ます問題である。以前はアクターが参与して出来事の流れを変えるということはほとんど問題にならなかった。なぜなら、出来事はその構造的条件によって左右されるので、基本的にはなるようにしかならないと考えられたからだ。しかし、アクター中心主義的な見方が入ってくると必ずしもそうではなくなる。政治的行為者は出来事の成り行きに影響を及ぼすことができるのだ。いかなる政治体制も原則的に「作る(craft)」ことができるという立場からすれば、制度を整え、出来事を一定の方向に導くことは可能なばかりではなく、望ましいことですらある。ここから新制度主義の立場が生じる。
 
この立場に影響されてブッシュ政権はイラクを攻撃した。第二次大戦で日本を打ち負かして、戦後日本に民主主義を持ち込んだらうまく根づいた。イラクでも同じことができないはずはない、とブッシュのブレイントラストは考えた。しかし、フセイン体制を打倒したあと、どうなったか。民主主義は根づかないばかりか、治安が乱れに乱れて、毎日のように多くの市民が犠牲となる事態が続いている。少なからずのイラク人がフセイン時代の方がよかったと考えるほどになっている。何がうまく行かなかったか。
 
新制度主義の理論は2つの仮定からなっている。1つは、「制度は意味をもつ」という仮定である。つまり、それは規範、信念、行動に影響する。したがって、結果を形づくる。もう1つは、「制度は内生的である」という仮定である。つまり、その形態、その機能はそれが生成し、継続する条件に依存する、とプシェヴォルスキは言う。ブッシュ政権の誤りは2つ目の仮定、つまり「制度は内生的である」という仮定を忘れて、1つ目の仮定だけに従って行動したことにあるのだ。制度は内生的でなければならない。つまり、イラクの条件の内側から生まれたものでなければならない。制度改革の企ては現実の条件をその出発点としなければならない。どこかよそで成功した制度に基づく青写真から出発してはならない。ブラジルの元大臣ペレイラ(Luiz C. B. Pereira)がかつて言ったように、「制度はせいぜい輸入できるだけだ。けっして輸出できない。」(2)
 
プシェヴォルスキが引用するペレイラの言葉は、参与を志す紛争研究者も心するべきことである。わが国のあまりにも多くの紛争研究者が「どこかよそで成功した制度に基づく青写真から出発」しようとしていないだろうか。紛争研究者はまず現地の諸条件を知らなければならない。そのためには現地の言語、歴史、文化などなどを学ばなければならない。現地の諸条件から出発して、現地人と一緒になって何が可能か、何をするべきかを考えなければならない。
 
第10回秋野賞は2008年5月9日(金)に締め切られた。応募者の数は昨年大きく伸びて13名となったが、今年は微減して12名にとどまった。応募者の研究対象地域はトルコ、ボスニア、コソボ、マケドニア、ロシア、コーカサス地方、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギスタン、カンボジア、韓国などユーラシア全域に及んでいる。
 
いつものように審査は二段階にわけて行われた。事務局段階で6名に絞り込まれたところで、応募者の名前が伏せられ、書類だけが審査員のもとに送られてきた。審査員に届いたものだけでもテーマが開発政策、外交史、比較政治体制、国際法、民族紛争、社会学的調査と多岐にわたっている。
 
いずれ劣らぬ出来栄えであった。5名の審査員は選抜に苦しんだが、目標が明確・具体的か、計画が体系的で目標の実現に適切か、現地調査を有効に活用できるか、有意義な報告が期待できるかの4項目について、それぞれ採点し、それを事務局に送った。事務局は機械的に集計して、再び審査員に採否の判断を求めた。上位2人は高いレベルでほぼ等しい評価を得て問題がなかったが、3人目で苦しんだ。3人目と4人目はかなり接近していた。けっきょく枠の関係で順位通りにもう1人採用するだけにとどめたが、さらに1人採りたかったところである。昨年に続いて、今年も3人とも男性である。2人は東京在住、1人は米ニューヨーク州アルバニーで勉学中である。
 
以下、アイウエオ順に受賞者とその研究計画を紹介し、審査委員長のコメントを付記する。まず、「内戦における戦闘員のリクルートメントと個人の紛争参加 − カンボジア除隊兵士に対するインタビュー調査 − 」。申請者は窪田悠一(くぼた・ゆういち)さん(1977年生まれ)。ニューヨーク州立大学アルバニー校博士課程(政治学部)に在学中。
 
これまでマクロレベルの内戦研究は多かったか、ミクロレベルの研究は少なかった。内戦に参加する動機についてイデオロギー、指導者の魅力、連帯精神、冒険心、報酬、友人関係、心理的圧力、強制などさまざまに言われてきたが、具体的調査に基づいて明らかにした例は数少ない(上記カリヴァスの研究もその一つ)。恐ろしい内戦の体験のあとでは、人々は口を閉ざす傾向がある。多くの人々は語らずに死んでしまう。済州島の1948年四・三事件について60年経った今日、はじめて幾人かが口を開きはじめたという。参加者の口を開かせることができれば、内戦研究にとって貴重な貢献となろう。申請者は、人はなぜ戦闘員として内戦に参加するのかをカンボジアを事例として調査したいという。NGOにおけるインターン経験などが豊富にあって、現地事情をよく押さえている。調査の時期として農閑期を選ぶという慎重さも示している。将来可能であれば、多国間の比較も試みてもらいたいものだ。どこまでカンボジアの内戦が特殊で、どこまで一般化できるのかを知りたい。
 
次に、「権威主義体制下の紛争勃発メカニズム − カザフスタン2007年総選挙とキルギス2005年総選挙の比較を中心に − 」。申請者は東島雅昌(ひがしじま・まさあき)さん(1982年生まれ)。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程に在学中。
 
旧ソ連諸国では独裁化しても選挙がある。もちろん不正選挙であることが多い。カザフスタンではそれが体制の安定化につながったのに対して、キルギスタンでは紛争、体制崩壊に発展した。アクターと制度の関係で紛争発生を説明するという申請者の姿勢は大いに評価したい。理論的な準備はよくできている。しかし、申請書を読んで、一般に考えられている紛争(Fearon & Laitin 2003によれば、少なくとも1,000人の死者)と申請者がイメージしている紛争との間にはちょっとズレがあるのではないか、と気になった。紛争が大規模化するのはアイデンティティや安全保障をめぐる対立が先鋭化するときだと思われるが、そのようなシナリオ(たとえば民族紛争、経済紛争、ロシア人問題など)はあまり想定されていない。はたしてエリート間関係、不正選挙、大国との関係だけで紛争勃発のメカニズムを説明できるか。またそれについての「一次資料」を慣れない現地で短期間に収集することができるか。ともあれ、まずは現実に触れることが必要だろう。
 
最後に、「難民に対する国境封鎖に関する研究 − マケドニアにおけるコソボ難民の処遇と国際法の役割を中心に − 」。申請者は山本哲史(やまもと・さとし)さん(1974年生まれ)。名古屋大学大学院国際開発研究科を修了して、現在、東京大学総合文化研究科リサーチフェロー(非常勤)。
 
申請者は国際法学者で、UNHCRの活動を研究してきた。コソボ紛争の際にマケドニアは国境を封鎖してコソボ難民の受け入れを拒み、国際法のノン・ルフルマン原則(難民を危険な地域に送還しないという原則)に違反した。申請者はこの事例を調査して原則確保のための実態的諸条件を探りたいという。目標はきわめて明確・具体的である。また、すでに一度現地調査を実施したことがあり、テトヴォ大学の知己から支援を期待できるという。現地調査を有効に活用できそうである。しかし、課題設定にやや無理があるような気がする。マケドニアは国際法の主体となってからまだ日がきわめて浅く、国の絶対的、相対的規模が非常に小さい(コソボとほぼ同じ)。そういう条件下での国際法の規範と現実との相克からどれほど一般的な結論を導き出せるか。また、「学際的アプローチが必要」として、「とくに現地だからこそ入手可能な豊富な一次資料の分析に取り組む予定」とあるが、国際法学者として何ができるか。もちろん野心的なのはよい。国際法学者としての枠を打ち破るような活躍こそ期待したいものである。

 毎年調書を見て気になるのは、現地体験のもつ意味である。留学、NGO活動家、外務省専門調査員などとしてすでに現地体験がある応募者は、当然「現地調査を有効に活用」するすべを知っている。他方で、現地体験は見聞を広めると同時に、見聞をそこに限定してしまう働きももつ。人々はしばしば自らの経験の囚人となる。自分がかつて知った人々、団体、機関などだけを訪ねて、自分が期待していた答えを引き出して満足してしまう。悪くすると「感傷旅行」に陥ってしまう危険もある。これに対してはじめて国外調査をしようとする者は現地の勝手が分からず、できそうもないことを盛り沢山並べる傾向がある。意気盛んなのはよいが、現地調査を「有効に活用する」ことはできないかもしれない。さればと言って、現地体験のある人だけを採用すれば、そもそも現地調査をする機会を新人から奪ってしまうことになる。最初は多少の無駄はあってもチャレンジしてもらうということに意味があろう。こうしたことについて現地調査の古強者も新人もくれぐれも気をつけてもらいたいものである。
 
秋野賞の趣旨は、わが国の研究者、活動家の紛争解決能力を高めることである。本年度の受賞者の活躍がそれに少しでも役立てばさいわいである。

(1) Stathis Kalyvas, The Logic of Violence in Civil War (New York: Cambridge University Press, 2006), 485 pp.
(2) Adam Przeworski, "Institutions Matter," Government and Opposition, vol. 39, no. 4 (September 2004), pp. 527-540.

©秋野豊ユーラシア基金