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 率直にいって、嬉しい誤算だった。初回ということもあり、質量 ともに入賞に値する応募が集まるか否か、一抹の不安感を抱いていたからである。私個人の認識不足も責められるべきかもしれない。中央アジア、それ以外のユーラシア地域における紛争を平和的な手段を用いて解決したり、発生を予防しようとする、政府、NGO、その他による努力。―この問題に、若い世代の方々がこれほどまでの熱心な関心を寄せ、調査・研究に携わろうとしているとは! 不覚にも、私個人が充分認識していなかったからだ。
 審査過程で悩まされたのは、粒揃いの優秀な応募に順位 をつけねばならない苦しみだった。とくに、「大学院生部門」では応募者全員をパスとしたいと思ったくらいである。しかし、それでは審査とならない。
 主として以下の諸点を留意して、評価を行った。(1)目標が明確かつ具体的なものであるか。(2)現実的な成果 が期待できるか。(3)たんなる机上の文献調査に過ぎないものか、現地へのフィールドワークが充分活用される調査研究であるのか。(4)予算活用の裏付けがあり、奨学金を充分生かすことが期待できるか。
 尚かつ接戦だったので、秋野豊ユーラシア基金理事会の御支持と御承認を得て「大学院生部門」では、今回に限り例外的に二名の合格者を選ぶことにした。この選に洩れた方々も、是非気持を新たにして次年度に応募していただきたい。
 秋野豊氏の偉業が決して彼一人で立ち消えするものでなく、彼に続く若い後進の人々が育ちつつある。このことを知り、審査員一同は満足感にひたされている。秋野氏も、あの特徴ある微笑みで「良し」とのサインを送ってくれているに違いない。

審査委員長
木村汎(国際日本文化研究センター教授)


 昨年度につづいて、今年も嬉しい悲鳴をあげることとなった。昨年は、初年度ということもあり、蓋を開けてみるまでは、果 して秋野賞に価する水準に達している 研究の応募があるかどうか。審査員および関係者一同は、正直いって心配だった。 その予想を裏切るレベルの応募が集まったことがわかったとき、ホッとし心底から 嬉しく感じた。
 今年の喜びは、やや異なる種類のものだった。昨年の申請のレベルの高さは、 ひょっとすると初年度だったことに由来するのではないか。換言すれば、それまで秋野賞と類似の意図で研究助成をあたえるプログラムがなかったがために、それまで蓄積されていた質の高いものが、どっと集まったのではないか。もしそうだとすると、第二年度は、レベルがやや下回るかもしれない。
 しかし、このような危惧はすべて、まったくの取り越し苦労だった。第二年目は、第一年目にけっして劣らぬ どころか、率直にいえば第一年目の水準をはるかに凌駕する研究計画の申請が集まった。このことは、何を意味するのか。まず、秋野賞の存在と趣旨がひろまったことを意味する。また、秋野氏が先鞭をつけた研究が、若い学徒たちによって着実に継承されつつあることを示している。さらにいうならば、
秋野賞の存在自体が、そのような研究を鼓舞し、促進することに役だっている。第三の意義は、同賞を設立した目的がすでに実現されつつあることとなる。うれしいかぎりである。
 ついでながら、秋野氏はタジキスタンで無念の死をとげたために、秋野賞=(イコール)旧ソ連の中央アジアの実地調査を促進する奨学金制度であるかのように、誤解されやすい。秋野氏の視野と活動―したがって、秋野賞の授賞範囲―をそのように狭く限定して解釈するのは、正しくない。秋野氏は、民族、国境その他の紛争 が発生・拡大する危険が存在するならば、地上のいかなる地域へも赴き、危機管理
と予防外交に身命を捧げようとした。極端にいえば、この態度が貫かれているかぎり、充分秋野賞の対象となりうる。事実、今回の入選者の研究対象地域は、必ずしも中央アジアでなく、キプロス、ボスニア、クロアチアだった。
 今回、大学院部門へは粒ぞろいの計画の応募が集まった。あらかじめ公示している四つの観点にたって、審査員が五点評価方式で採点を行い、それらを合計した。審査員の間で意見が分かれることは、まったくなかった。一般 学生部門に該当者がなかったために、その定員1名を大学院部門にまわし、さらに昨年同様理事会の特別 の御配慮を得て、本来2名のところ1名増員していただき、計3名を合格者とした。すでに今年度の国連大学秋野フェローを受賞している方にたいしては、申請資格辞退をお願いし、快く了承していただいた。それらの人々、そして今年度惜しくも選に洩れた方々は、国内外でさらに研修を積まれた後、来年度新たな意欲をもって 再応募されることを希望する。


審査委員長
木村汎(国際日本文化研究センター教授)



 毎年この時期が近づくと、公平・厳正な審査を行うことができるように、心身 ともに健全な状況を備えようとしている。応募者の提案内容を注意深く熟読する ことは、緊張した時間を連続的に要する大作業である。私にとり、これほど真剣 に他人が書いた文章(申請書類)を読むことは、おそらく他にあるまい。しかし、 過去3年間、このような苦労は十二分に報いられている。応募に値する真剣な提 案に遭遇するばかりか、合否の結果 如何にかかわらず、提案内容によって研究上 も教えられることが大であるからである。おそらく秋野豊氏も、自身が撒いた種 子が、後進の人々によってこれほどまでに確実に受け継がれていることは、予想 外のことではなかろうか。秋野氏がはじめた仕事は、確実に生きている。  
  今は、第三回秋野賞の審査を無事終えて、静謐な喜びにひたっている。応募者 の質が、年々確実に高くなってきていることを確実に感じる。今回の応募は、こ との他水準が高かった。審査は、四項目について一項目各5点を満点とし、意図 的に個人差が浮き出るように審査員の各先生方にお願いしているにもかかわらず、 全員の審査員がすべての応募者に高い点をつけていた。  
  審査員5名の合計点では、渡辺信氏が文句なしの第1位。第2位は、金敬黙氏。 審査中は、もちろん応募者の氏名、性別 、年齢、所属その他が一切伏せられ、記 号名A、B、C、D…で記されているだけなので、渡辺氏が昨年に続く2度目の 応募で栄冠を獲得したことは、ただ今事務局から教えられ知った次第。また金氏 が在日韓国人であることも、講評を記す現段階で初めて知った。同氏が在日韓国 人の方だからといって、たしかにどうということはない。だが、秋野賞の受賞者 に国際色が加わることには、喜びを禁じえない。  
  「大学院生部門」と比べると、「大学生・一般部門」は毎年応募の数も少なく、 質的に必ずしも充分でない。今年も該当者を認めえなかったことは、残念至極。 これら二部門に分けて募集することの是非が、今後の検討課題となるかもしれな い。


審査委員長
木村汎(国際日本文化研究センター教授)



  第4回目となる今回の秋野豊賞の応募は、その質と量において最高であった。 このことによって、同賞は制度ないしプログラムとして見事に定着・確立された。 こう考えてよいのみならず、今後益々発展し成果を上げるとの明るい展望が得ら れた。関係者としてホッとする。安堵感をおぼえると同時に、胸のなかに感動が 拡がってくる。これらはすべて関係者各位の努力の賜物である。心からお礼を申 し上げたい。彼岸の秋野豊氏があの人なつこい顔で目を細め、照れながらも喜ん でおられる姿が目に浮かぶ。洋子夫人をはじめご遺族のお気持ちもいかばかりか と思う。
 5月10日(金)に締め切られた今年度の同賞には、過去最高の12名が応募 してくださった(ちなみに、第1回、第2回ともに8名、第3回は6名)。研究 計画内容を地域別に分けてみると、中央アジア、カフカス地方、ボスニア、中東、 カンボジア、東チモール、朝鮮半島など――じつに多岐にわたる。アフガニスタ ンこそなかったものの、現在も紛争がくすぶっている地域(中東、カシミールな ど)、停戦合意以降の平和構築が焦点となっている地域(ボスニア、カンボジア、 東チモールなど)に、応募者の関心が向けられていることが分かる。
 5人の審査委員による評価点を合計したところ、上位3名が他を引き離してい た。上位3名の間の評点差は、ごく僅かであった。そのため、審査委員会はこれ ら3名を採用候補者として理事会に推薦することに決定した。幸い、このような 同委員会の推薦を、秋野豊ユーラシア基金理事会は承認した。
 審査・採点は、これまでどおり応募者名を伏せて記号で行われた。本日はじめ て、採用決定者の一人(江崎さん)が、故秋野豊氏の学部時代の最後の教え子の 一人であることを報らされた。
 以上のような厳正な審査過程を経て、第4回秋野豊賞受賞者に輝やかれた3名 の方々に、審査委員会を代表して心からお祝い申し上げる。同時に、同賞にふさわしい研究成果を出してくださることを期待する。

審査委員長
木村汎
(拓殖大学海外事情研究所教授)



 イラクの激動が続いている。昨年は奥克彦、井ノ上正盛という2人の日本人外交官が、今年に入ってからは橋田信介、小川功太郎という2人の日本人ジャーナリストが何者かに襲われて死んだ。外交官は日本外交の行く手を切り拓こうとして、またジャーナリストは戦争の真実を求めようとして不幸に見舞われたのであった。
 私はこうした事件に接するたびに、6年前にパミールの彼方で劇死した秋野豊氏のことを思い出す。彼は研究者としてタジキスタンの内乱に関心を寄せ、その解決に貢献しようと外交官として現地に赴いた。理論は大いに実践を助けた。さらにその実践を日本に持ち帰って理論を豊かにしようと考えていた。しかし、その矢先に凶弾に斃れたのであった。
 それぞれ目的としたところは異なるが、遠くから眺める、あるいは机上で理屈をこねるだけではなく、紛争の現場に赴いて生活の真実を求めようとしたところに共通点がある。墓標の列はこれ以上長くなってほしくないが、日本人が世界の諸問題と直に切り結ぶ時代が到来したことを告げているような気がする。
 秋野豊氏が劇死してから6年。そして秋野基金が発足してから5年。基金は秋野氏と同じように世界の諸問題と直に切り結ぶことのできる研究者を育てようとして活動を続けてきた。5年間の成果をわれわれは大いに誇りに思うことができる。
 さて、私はこのたび木村汎氏に代わって審査委員長を仰せつかった。大任が務まるかどうかはなはだ心許ないが、微力を尽くして任にあたりたいと思う。
 今年も13名の応募者があった。昨年と比べると1名減であるが、一昨年と比べると1名増であって、基金への関心は高まりこそすれ、けっして衰えていない。応募者が研究対象とする地域は、ハンガリー、モルドヴァ、タジキスタン、パキスタン、グルジア、パレスチナ、ウズベキスタン、スリランカ、カンボジア、中国など、ユーラシア全域に広がっている。
 いつものように応募者の名前は伏せられて、応募書類だけがわれわれ審査員のもとに送られてきた。6名の審査員は、目標が明確・具体的か、計画が体系的で目標の実現に適切か、現地調査を有効に活用できるか、有意義な報告が期待できるかの4項目について、それぞれ採点し、それを事務局の方で集計した。
 応募者はいずれも具体的な紛争に焦点を絞り、現場主義に徹していた。すでに現地体験があり、現地との連絡もとっていて、成果が挙がりそうなものが多かった。しかし、選考はやや難行した。というのは、審査員の評価がかなり分散したからである。例年、二、三のプロジェクトにダントツに高い評価が集中するものであるが、今年はそういうことがなかった。最後には相対的に高い評価を得た一つのプロジェクトに白羽の矢が立てられた。
 タイトルは「清真寺をめぐるエスノ・ポリティクス − 中国社会主義体制下の回族のジャマーアティの再編 − 」。これまでユーラシアのさまざまな地域を対象としたプロジェクトが受賞してきたが、中国を対象としたものははじめてである。またこれまでは国際政治学、比較政治学、現代史の分野が多かったが、本プロジェクトは社会人類学である。それはまた中国の民族問題の中でもこれまであまり注目されてこなかった回族に焦点を当てている。理論的にもまた実践的にも十分に現地調査の準備があることが評価されたように思われる。
 受賞者澤井充生氏は1971年京都生まれの33歳。審査が終わってから知らされて驚いたのであるが、1994-97年筑波大学大学院修士課程に籍を置いており、秋野豊氏の薫陶を受けた可能性がある。神戸外大→筑波大大学院修士→東京都立大大学院修士と進学して、現在、同大学院博士課程在籍。
 これまでの受賞者と同じく澤井氏にも、今回のプロジェクトによってわが国の紛争研究の水準を引き上げてもらいたいと願っている。
審査委員長 
伊東 孝之(早稲田大学政治経済学部教授)



 アメリカの政治学者R・ダールは1971年に『ポリアーキー』という本を著した。ポリアーキーは民主主義そのものではなく、現実におけるその近似値であって、現存の「民主主義」国すべてがそうである。
 外国支配によってポリアーキーが生まれる可能性について、ダールはどのように考えたか。第二次大戦直後、オーストリア、ドイツ、イタリア、日本が外国支配のもとでポリアーキー化した。しかし、これは「歴史的に異例であり、予見しうる将来に再び起こりそうもない。」これら諸国で試みが成功したのは諸条件がポリアーキーに比較的有利であったからだ。第二次大戦後独立した国はほとんどすべてポリアーキーにとって不利な条件をもっている。ところが、「アメリカの政策作成者は勇気づいて、他のどこでもポリアーキーを誕生させうるという単純で楽観的すぎる仮説を採用することとなったようだ。」
 たしかに第二次大戦後独立した国の中でポリアーキーとなった国は少なからずある(たとえば、インド)。そうした国では「政治活動家のかなりの部分が、本来、ポリアーキーの諸制度に好意的な傾向があった。」そうなったのは長期にわたる、非常に複雑な過程のおかげであって、「外国とりわけポリアーキーの国が、ある特定のイデオロギーへの支持をつくりだそうとしても、限られた成功しか望めない。つまり外国の力は、歴史的文化的諸力の強靱な網の目にとらえられ、それらをほとんど操作することができないからである。」
 民主化のための援助についてもダールは懐疑的である。「独裁者や少数独裁者は、そうやすやすと外国の援助に欺かれて、自分自身の体制を崩すことはない。この点では、ポリアーキーに有利な条件に対する長期的な影響を別にすれば、非ポリアーキーをポリアーキーに変える戦略としては、アメリカの対外援助計画は、総体的に失敗であると宣告しなければならない。私の知る限りで、見事それが成功した例は一つもない。」
 35年前のダールのこの言葉は今日のアメリカのイラク政策とその結果を予言しているような感がある。いわゆるネオコンといわれるブッシュ政権の政策ブレーンは、第二次大戦後日本の民主化に成功したのだからイラクで成功しないわけがないと考えてイラク侵攻を提言したといわれる。彼らはダールをよく読んでおくべきだったと思う。
 しかし、アメリカの失敗をあざ笑ってばかりいることはできない。現にユーラシアには紛争とその後遺症に苦しんでいる諸国、人々がたくさんいる。アメリカとその同盟国が直接介入したイラクやアフガニスタンのような例ばかりではない。むしろそうでなくて紛争が起こっている例が多い。国際社会が関与したか否かを問わず、ユーラシアのおける紛争解決に少しでも寄与したい、そのような人材を育てたいというのが秋野豊ユーラシア基金の趣旨である。
 第8回秋野賞は5月12日(金)に締め切られた。応募者は8名で、前回の16名、前々回の13名と比べると減少している。調査対象とした地域はイスラエル、ネパール、東ティモール、アフガニスタン、アゼルバイジャン、パキスタンなどに及んだ。
 いつものように審査は二段階にわけて行われた。応募者の名前は伏せられ、予備審査の段階で4名に絞り込まれたところで、本審査が行われた。6名の審査委員は、目標が明確・具体的か、計画が体系的で目標の実現に適切か、現地調査を有効に活用できるか、有意義な報告が期待できるかの4項目について、それぞれ採点し、それを事務局の方で集計して採否を決定した。
 いずれもよく準備された計画であった。具体的な紛争に焦点を絞り、現場主義に徹していた。すでに現地体験があり、現地との連絡もとっていて、成果が挙がりそうなプロジェクトばかりだった。残念ながら1名は応募資格の面で問題があり、辞退してもらうことになった。研究計画書はしっかりしたものだったが、他の事業体で有給の職員となる予定があり、秋野賞創設の趣旨 − 経済的に困難な人に対して海外での現地調査実施を優先的に助成する − に若干、抵触する恐れがあったためである。将来、この点がクリアされたのちにあらためて応募してもらえれば幸いである。
 受賞したのは次の2つのプロジェクトである。2つとも対象地域が東ティモールで、また奇しくも申請者はいずれも女性であった。
 まず、「東ティモール独立後の平和構築における青年層の社会統合問題」。申請者は清水麻衣子さん。国際基督教大学教養学部社会科学科卒で、現在、オーストラリア・クイーンズランド大学政治・国際学部修士課程留学中とのこと。これまでにNPOインターバンドに加わってカンボジア、インドネシア、台湾などで選挙監視員の経歴がある。清水さんは主要国際援助機関の平和構築スキームが世界画一的で、社会脱落者を十分に配慮していないと指摘し、「現地社会の自律的な社会統合の動きに沿った」援助を考えたいとしている。行政機構、とくに治安機構の整備だけではなく、社会問題、とくに青年層の失業問題に焦点を絞っているところに特色がある。しかし、セーフティネットについて「社会に対する不満をもった人々に発言機会を与え、不満の受け皿となるような組織であり、一般的に市民社会団体といわれるもの」としているのはやや疑問である。この言葉は、サーカスの綱渡りに張られる安全網から由来していて、一般的には経済の一部で発生した破綻が経済全体の領域にまで波及しないようにする安全装置、たとえば、預金保険、雇用保険、社会保障、都市の社会的安全弁など公的な制度を指しているように思われる。また、43%に上るような失業問題にセーフティネットだけで対応することはできないので、青年組織だけではなく広く経済政策、社会政策を視野に入れるべきではないか。
 次に、「紛争後社会における治安制度構築 − 東ティモールにおける生成と展開」。申請者は安藤友香さん。県立広島女子大学国際文化学部を卒業して、大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程を修了し、現在、同博士後期課程在学中とのこと。紛争後社会における治安制度の構築と展開に関心を寄せ、東ティモールの軍、警察、司法制度を調査したいとしている。紛争後の社会においては自由の程度というよりも秩序の程度が問題であり(ハンチントン)、したがって軍、警察、司法制度が最重要問題である。これはパレスチナ、イラク、旧ユーゴスラビア地域を見ても分かる。とりわけ東ティモールのように古い治安制度が完全に崩壊し、姿を消してしまったところでは、ゼロから出発しなければならない。いつまでも国際社会が治安維持の責任を負うことは不可能であることを考えれば、このような研究が実を結ぶことが切実に待たれている。安藤さんは本調査の前に警察設立過程について研究しており、一定の準備があると思われるが、軍と司法制度についてあまり準備がないのが不安材料ではある。
 現地では不穏な情勢が続いていると伝えられる。そのような地域に若い女性を調査に派遣することに一抹の不安がないわけではない。しかし、これは紛争研究の一つの宿命であろう。そのような課題に2人の女性が挑戦するということ、またそれを秋野豊ユーラシア基金が支援することを誇らしく思う。基金がこれまでに支援してきた研究プロジェクトと同じく、清水麻衣子さん、安藤友香さんのプロジェクトもまた、わが国の紛争研究の水準向上に大きく貢献するものと確信する。

審査委員長 
伊東 孝之(早稲田大学政治経済学部教授)

人々が武器を取って殺し合うのには二通りある。国家内の紛争つまり内戦と、国家間の紛争つまり戦争である。なぜ国家の内と外がそれほど重要な区別となるのか。それは国家が一定の領域内で公的暴力の独占を主張する(マックス・ウェーバー)からである。したがって、国家が国家らしくあれば、国家内の紛争は少なくなり、次第に国家間の紛争に収斂してゆくはずである。
 たしかに20世紀の半ばまでの人類の歴史はそのような方向を指し示しているように見えた。全世界を覆うに至ったウェストファリア体制下で主権国家はそれぞれ自らの領土を実効支配し、その中での紛争を封じ込めたように見えた。その代わりに国家間の紛争が人類にとって最大の禍いとなった。諸国家は公的暴力を独占し、それを対内的ばかりではなく、また対外的にも効率的に行使した。その結果、20世紀の前半に何千万という人々が戦場で斃れた。戦争という災禍から人類を救済するための学問として国際政治学、国際関係論、平和学などが大きな注目を浴びた。
 しかし、冷戦の時代はどうであったろうか。冷戦とは世界を二分する二つの超主権国家が権力的のみならずまたイデオロギー的にも対立する状態ということができよう。この時代に米ソ両超大国は大いに睨みあったが互いに戦争をすることがなかったので、戦争の犠牲者は少なかった。しかもそれぞれの勢力圏内で紛争を封じ込めたので国家内の紛争も少なかった。このため冷戦時代は熱核戦争の恐怖に脅かされながらも「長い平和」(ジョン・L・ギャディス)が支配した時代であったように見えた。
 見かけは人の目を欺くものである。フィアロンとライティンという二人の政治学者が2003年に統計学的手法で1945年から1999年までの紛争の犠牲者を調べたところ、戦争の犠牲者は333万、内戦の犠牲者は1620万であった。たしかにそれまでの時代と比べると戦争の犠牲者は減ったが、それを埋めあわせるような形で内戦の犠牲者が増えている。内戦の数は冷戦の時代から漸増の傾向にあるが、それは勃発数が増えたためというよりも継続するものが増えたためである。内戦の継続期間は当初2年であったが、末期には15年となっている。冷戦の終了とともに内戦が激増したということはない。しかし、犠牲者の数は確実に増えている*。今日、国家内の紛争こそ人類にとって最大の災禍となっている。その災禍から人類を救済する役割を担うべきは地域研究、比較政治学などの学問分野であろう。
 秋野豊氏はユーラシア地域の紛争調停に関心をもち、多くの研究成果を挙げた。1998年に国連政務官として内戦下のタジキスタンに派遣され、調停活動に従事している最中に凶弾に倒れた。秋野氏の悲劇的な死を記念して設立された秋野豊ユーラシア基金は、毎年「ユーラシア大陸の紛争および安全保障の問題」のための研究プロジェクトを募集し、すぐれたものに秋野賞を授与している。今年度はその9回目に当たる。
 第9回秋野賞は2007年5月11日(金)に締め切られた。応募者の数は昨年微減して8名となったが、今年再び増勢に転じ、前々回と同じ13名に達した。応募者の研究対象地域は、フィリピン、チベット、アフガニスタン、インド、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、グルジア、ロシア、マケドニア、コソヴォ、クロアチアなどユーラシア全域にわたっている。
 いつものように審査は二段階にわけて行われた。事務局段階で5名に絞り込まれたところで、応募者の名前が伏せられ、書類だけが審査員のもとに送られてきた。5名の審査員は、目標が明確・具体的か、計画が体系的で目標の実現に適切か、現地調査を有効に活用できるか、有意義な報告が期待できるかの4項目について、それぞれ採点し、それを事務局の方で集計して採否を決定した。上位3人が高いレベルでほぼ同点であったのに対して、次の2人の間にやや差が開いたため、上位3名を最終候補者とした。昨年は受賞者が2人とも女性であったのに対して、今年は3人とも男性である。また3人とも東京ではなく、西日本(大阪、広島)からの応募者であった。
 年々趣旨が徹底しているようで、調書の質が向上している。目標が明確に絞られ、具体的となっている。漫然と現地に行くのではなく、周到に計画を練っている。すでにNGOなどの活動家として現地に滞在経験があり、現地感覚があって無駄なく調査機会を利用できるという印象が強い。現地調査を博士論文のような大きな研究計画の中に位置づけている。
 しかし、2つほど気がかりな点がある。1つは調査の焦点が紛争解決そのものではなくて紛争解決活動に絞られていることである。たとえば、ある地域に紛争が起きていて、その紛争を解決しようとする国際機関やグループの活動があるとしよう。関心が前者には向かわず、後者に向かっている印象がある。たとえば、NGO、NGO調整体、OSCE、国連、EUなどの紛争解決活動に関心が向かっている。たしかにそうした機関の活動がなければ、紛争解決が難しいことは理解できる。紛争解決活動の調査は紛争解決を助けるだろう。しかし、紛争解決活動の調査によって紛争そのものの調査の必要から免れてしまうわけではない。紛争そのものの調査なくして紛争の解決はないのである。
 もう1つ、現地調査には現地の事情を知らなければならない。現地の言葉、文化、歴史、経済、政治などを知らなければならない。つまり地域研究を行わなければならない。今回の応募者の調書を読むとあまりその用意がないという印象を受ける。理論的な準備は比較的よくできている。理論的な準備を十分に行って、任意の紛争地域に飛んでいって、現地で展開しているNGOや国際機関を頼りに調査をすれば十分、と考えているように見える。たしかに理論的な準備はあった方がよいが、それと同時に現地の事情を本格的に研究する用意がなければなるまい。そうでなければ表面的な観察に終わるおそれがある。たしかに現地調査を行ったとしてもすでに出発前に頭に入っていたものをただ確認するだけに終わってしまうおそれがある。
 以下、アイウエオ順に受賞者とその研究計画を紹介しよう。まず、「複合的危機における人道支援活動の調整:ACBARとUNOCHAとの比較から」。申請者は多田透さん。1971年生まれ(35歳)。大阪大学経済学部卒で、現在、大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程に在学中という。
 人道支援活動を行っている組織間の調整に関心を寄せ、アフガニスタンでそれをやっているACBARとUNOCHAという二つの組織の活動を調査したいという。たしかに、たとえばスマトラ沖地震のときに、各国が派遣した救済活動組織の間の調整問題は深刻だったと想像される。これはおそらく国際社会が無政府状態であることを反映している。民間団体中心であれば、同一国が派遣した支援組織の間でさえも調整がとれないおそれがある。多田さんはアフガニスタンについてその調査をやりたいという。国連関係の組織の調整(UNOCHA)についてはすでに外部評価報告書が出ており、それとの対比においてNGO間の調整体であるACBARの調査を行いたいということである。日本のNGOの調整体(JANN)に調査の焦点を絞っている。それ以外についてはJANNを通じて調べる予定のようだ。かつてアフガニスタンでNGOの活動をしたことがあるようなので、土地勘や人脈を役立てることができるだろう。
 しかし、日本のNGOの調整体だけでは、あるいはそれを通じてだけでは調査結果の客観性をどのように保証するかという問題が残るように見える。また、外交交渉の研究をモデルとしているようだが、国家間の調整ではないNGO間の調整については別の理論モデルを用意した方がよいのではないか。
 次に、「EU加盟コンディショナリティー効果が民族間の武力紛争予防に果たす役割:マケドニア和平合意の締結と履行過程の調査」。申請者は中内政貴さん。1976年生まれ(31歳)。大阪大学法学部卒で、現在、大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程在学中という。また2002〜2005年に在墺日本大使館にて専門調査員[マケドニア担当]を務めたことがあるという。
 EU加盟コンディショナリティは民主化や民族紛争予防において効果を発揮しているとされる有力な国際要因の一つである。申請者はそれをマケドニアの事例において調査したいという。たしかにマケドニアは旧ユーゴスラビア地域で民族紛争のおそれが十分にあったにもかかわらず予防できた珍しいケースである。これを現地当局者とのインタビューや未公開の世論調査の発掘などで調べるというのは非常に意味があるように思われる。また申請者は数年現地でODA業務に携わったことがあるので、たしかな現地感覚に支えられて調査ができるだろう。
 しかし、国際的コンディショナリティだけではなく現地アクター自身の活動も貢献が大きいのではないか。国際要因だけに一方的に焦点を絞ることはバイアスを生むおそれがある。申請者は現地感覚があるといってもマケドニア語やアルバニア語を習得しておらず、現地当局者と英語でインタビューすることを考えているようである。その場合、英語を理解する現地エリートを通じての調査ということになるおそれがある。もちろんそれでもやる方がよいが、将来はより突っ込んだ調査を心がけてもらいたい。
 最後に、「対立から平和へ:平和構築における市民社会の役割 − ミンダナオアの事例より」。申請者は古澤嘉朗さん。1981年生まれ(25歳)。筑波大学国際総合学類卒で、英ブラッドフォード大学大学院平和学研究科修士課程修了、現在、広島大学大学院国際協力研究科科目等履修生という。
 理論的準備がしっかりしている。事前に文献資料をよく読み込んでいる。現地のネットワークも持っていて、調査には不自由しないようだ。平和構築における市民社会の役割に注目し、調査をしたい市民社会組織についても狙いをつけている。なによりも対象地域がよく絞られている。市民社会だけではなく他のトラック(国家、草の根)、またトラック間の相互作用も射程に入れている。
 しかしながら、「市民社会」という概念がすこし曖昧なようだ。宗教系NGO、平和運動組織などを念頭においているようだが、もし「対話」に熱心な市民社会だけの調査に基づいて、ミンダナオは「対立」から「対話」に向かっているというような結論が導き出されるようではあまり説得力がないだろう。紛争そのものではなくて紛争解決に従事している活動家の調査という色彩が濃厚である。紛争そのものに関しては他のトラックや経済、社会、文化などの状態を調査することが必要な気がする。またそのためには現地語の知識が欠かせないだろう。
 アフガニスタン、マケドニア、ミンダナオ。いずれも紛争後地域であって、今日なお不穏な情勢が続いている。そういう場所へ前途有為の研究者を派遣することはためらわれるが、そのような危険を冒さなければならないのが紛争研究の宿命である。それによってわが国の紛争解決への貢献が高まるならば、秋野豊ユーラシア基金として大いに誇るべきことであると思う。今年度の3人の受賞者の活躍を祈りたい。

 * James D. Fearon & David D. Laitin, "Ethnicity, Insurgency, and Civil War," American Political Science Review, vol. 97, no. 1, pp. 75-90

審査委員長 
伊東 孝之(早稲田大学政治経済学部教授)


今年は国際政治学者、秋野豊氏の10周忌にあたる。その悲劇的な死を記念して設立された秋野豊ユーラシア基金は、毎年「ユーラシア大陸の紛争および安全保障の問題」のための研究プロジェクトを募集し、すぐれたものに秋野賞を授与してきた。その秋野賞も今年で10周年を迎えた。
 観察者であるべきか、参与者であるべきか。社会科学者がいつも悩まされる問題である。自然科学においては研究者が参与者になるということはまずあり得ない。研究対象がそもそも参与できない性質のものだからだ。しかし、人文科学や社会科学は人間の営みを研究の対象とする。たしかに考古学においては参与できないだろう。しかし現代史研究においてはひょっとしたら参与できるかもしれない。社会科学は主として現代の社会現象を研究対象とするので参与の可能性大である。参与できるか否かということとは別に、対象が人間の営みであることからして追体験できるし、感情移入もできる。そこにこそ人文科学、社会科学の研究の本質がある(ウェーバーの理解社会学)。
 観察者か参与者かというジレンマは秋野賞が対象とするような紛争研究においてとりわけ深刻である。紛争は現にわれわれの眼前で起きている。そこで胸をかきむしられるような数々の人間的悲劇が繰り広げられている。ベトナム戦争があれほど人々の関心を呼び起こしたのは、テレビを通じてその映像が茶の間に飛び込んできたからだ。われわれは単なる傍観者、観察者であっていいのか、それに関わるべきではないのか。人々は日ごとにそのような問いを発することになる。
 参与するといっても、われわれの可能性は限られている。ほとんど無視できるといってもよいかもしれない。しかし、大規模な人間的悲劇を前にして手を拱いていてよいだろうかという思いがある。実際にその気さえあれば参与することは不可能ではないのだ。もし自分たちの政府がその紛争に関わっておれば政府を通じて間接的に関わることができる。今日では現地で活躍するNGOや国際機関の活動家として直接に関わることもできる。基金がその名を冠している故秋野豊氏の例が示すように、参与者でもあろうとする姿勢にこそ紛争研究の本来的な姿があるといえよう。過去の秋野賞の応募者、受賞者にも多くの参与者が名を連ねている。
 しかし、参与が実効的であるためには十分な準備がなければならない。そのためには冷徹な観察者、分析家であることが必要である。この春にカリヴァスの『内乱における暴力の論理』という本を読んだ(1)。古今東西のありとあらゆる内乱を取り上げているが、事例として詳しく考察しているのは第二次大戦中のギリシアである。ギリシアではまずイタリア軍、次いでドイツ軍に占領されて恐ろしい内乱が勃発した。どの村でも残酷な殺しあいが起き、多くの犠牲者が出た。なぜ、どのようにしてそのような殺しあいが起きたか、エスカレートしたか、また沈静化していったかを政治学の手法を使って克明に分析している。筆者は実はギリシア出身で、子供のころ自分の故郷の村で起きたかもしれないことを述べているのだが、その叙述はしばしばぞっとするほど冷静で、人ごとのように突き放している。よくもまあこのように冷たい書き方ができるものだと驚いたが、考えてみると社会科学者は研究対象に対して十分な距離感をもたなければならない。それでこそ正しい認識ができ、参与するときにも役立つ。
 はたして外部の者は参与することが許されるか。どこまで許されるか。これもまた紛争研究者を悩ます問題である。以前はアクターが参与して出来事の流れを変えるということはほとんど問題にならなかった。なぜなら、出来事はその構造的条件によって左右されるので、基本的にはなるようにしかならないと考えられたからだ。しかし、アクター中心主義的な見方が入ってくると必ずしもそうではなくなる。政治的行為者は出来事の成り行きに影響を及ぼすことができるのだ。いかなる政治体制も原則的に「作る(craft)」ことができるという立場からすれば、制度を整え、出来事を一定の方向に導くことは可能なばかりではなく、望ましいことですらある。ここから新制度主義の立場が生じる。
 この立場に影響されてブッシュ政権はイラクを攻撃した。第二次大戦で日本を打ち負かして、戦後日本に民主主義を持ち込んだらうまく根づいた。イラクでも同じことができないはずはない、とブッシュのブレイントラストは考えた。しかし、フセイン体制を打倒したあと、どうなったか。民主主義は根づかないばかりか、治安が乱れに乱れて、毎日のように多くの市民が犠牲となる事態が続いている。少なからずのイラク人がフセイン時代の方がよかったと考えるほどになっている。何がうまく行かなかったか。
 新制度主義の理論は2つの仮定からなっている。1つは、「制度は意味をもつ」という仮定である。つまり、それは規範、信念、行動に影響する。したがって、結果を形づくる。もう1つは、「制度は内生的である」という仮定である。つまり、その形態、その機能はそれが生成し、継続する条件に依存する、とプシェヴォルスキは言う。ブッシュ政権の誤りは2つ目の仮定、つまり「制度は内生的である」という仮定を忘れて、1つ目の仮定だけに従って行動したことにあるのだ。制度は内生的でなければならない。つまり、イラクの条件の内側から生まれたものでなければならない。制度改革の企ては現実の条件をその出発点としなければならない。どこかよそで成功した制度に基づく青写真から出発してはならない。ブラジルの元大臣ペレイラ(Luiz C. B. Pereira)がかつて言ったように、「制度はせいぜい輸入できるだけだ。けっして輸出できない。」(2)
 プシェヴォルスキが引用するペレイラの言葉は、参与を志す紛争研究者も心するべきことである。わが国のあまりにも多くの紛争研究者が「どこかよそで成功した制度に基づく青写真から出発」しようとしていないだろうか。紛争研究者はまず現地の諸条件を知らなければならない。そのためには現地の言語、歴史、文化などなどを学ばなければならない。現地の諸条件から出発して、現地人と一緒になって何が可能か、何をするべきかを考えなければならない。
 第10回秋野賞は2008年5月9日(金)に締め切られた。応募者の数は昨年大きく伸びて13名となったが、今年は微減して12名にとどまった。応募者の研究対象地域はトルコ、ボスニア、コソボ、マケドニア、ロシア、コーカサス地方、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギスタン、カンボジア、韓国などユーラシア全域に及んでいる。
 いつものように審査は二段階にわけて行われた。事務局段階で6名に絞り込まれたところで、応募者の名前が伏せられ、書類だけが審査員のもとに送られてきた。審査員に届いたものだけでもテーマが開発政策、外交史、比較政治体制、国際法、民族紛争、社会学的調査と多岐にわたっている。
 いずれ劣らぬ出来栄えであった。5名の審査員は選抜に苦しんだが、目標が明確・具体的か、計画が体系的で目標の実現に適切か、現地調査を有効に活用できるか、有意義な報告が期待できるかの4項目について、それぞれ採点し、それを事務局に送った。事務局は機械的に集計して、再び審査員に採否の判断を求めた。上位2人は高いレベルでほぼ等しい評価を得て問題がなかったが、3人目で苦しんだ。3人目と4人目はかなり接近していた。けっきょく枠の関係で順位通りにもう1人採用するだけにとどめたが、さらに1人採りたかったところである。昨年に続いて、今年も3人とも男性である。2人は東京在住、1人は米ニューヨーク州アルバニーで勉学中である。
 以下、アイウエオ順に受賞者とその研究計画を紹介し、審査委員長のコメントを付記する。まず、「内戦における戦闘員のリクルートメントと個人の紛争参加 − カンボジア除隊兵士に対するインタビュー調査 − 」。申請者は窪田悠一(くぼた・ゆういち)さん(1977年生まれ)。ニューヨーク州立大学アルバニー校博士課程(政治学部)に在学中。
 これまでマクロレベルの内戦研究は多かったか、ミクロレベルの研究は少なかった。内戦に参加する動機についてイデオロギー、指導者の魅力、連帯精神、冒険心、報酬、友人関係、心理的圧力、強制などさまざまに言われてきたが、具体的調査に基づいて明らかにした例は数少ない(上記カリヴァスの研究もその一つ)。恐ろしい内戦の体験のあとでは、人々は口を閉ざす傾向がある。多くの人々は語らずに死んでしまう。済州島の1948年四・三事件について60年経った今日、はじめて幾人かが口を開きはじめたという。参加者の口を開かせることができれば、内戦研究にとって貴重な貢献となろう。申請者は、人はなぜ戦闘員として内戦に参加するのかをカンボジアを事例として調査したいという。NGOにおけるインターン経験などが豊富にあって、現地事情をよく押さえている。調査の時期として農閑期を選ぶという慎重さも示している。将来可能であれば、多国間の比較も試みてもらいたいものだ。どこまでカンボジアの内戦が特殊で、どこまで一般化できるのかを知りたい。
 次に、「権威主義体制下の紛争勃発メカニズム − カザフスタン2007年総選挙とキルギス2005年総選挙の比較を中心に − 」。申請者は東島雅昌(ひがしじま・まさあき)さん(1982年生まれ)。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程に在学中。
 旧ソ連諸国では独裁化しても選挙がある。もちろん不正選挙であることが多い。カザフスタンではそれが体制の安定化につながったのに対して、キルギスタンでは紛争、体制崩壊に発展した。アクターと制度の関係で紛争発生を説明するという申請者の姿勢は大いに評価したい。理論的な準備はよくできている。しかし、申請書を読んで、一般に考えられている紛争(Fearon & Laitin 2003によれば、少なくとも1,000人の死者)と申請者がイメージしている紛争との間にはちょっとズレがあるのではないか、と気になった。紛争が大規模化するのはアイデンティティや安全保障をめぐる対立が先鋭化するときだと思われるが、そのようなシナリオ(たとえば民族紛争、経済紛争、ロシア人問題など)はあまり想定されていない。はたしてエリート間関係、不正選挙、大国との関係だけで紛争勃発のメカニズムを説明できるか。またそれについての「一次資料」を慣れない現地で短期間に収集することができるか。ともあれ、まずは現実に触れることが必要だろう。
 最後に、「難民に対する国境封鎖に関する研究 − マケドニアにおけるコソボ難民の処遇と国際法の役割を中心に − 」。申請者は山本哲史(やまもと・さとし)さん(1974年生まれ)。名古屋大学大学院国際開発研究科を修了して、現在、東京大学総合文化研究科リサーチフェロー(非常勤)。
 申請者は国際法学者で、UNHCRの活動を研究してきた。コソボ紛争の際にマケドニアは国境を封鎖してコソボ難民の受け入れを拒み、国際法のノン・ルフルマン原則(難民を危険な地域に送還しないという原則)に違反した。申請者はこの事例を調査して原則確保のための実態的諸条件を探りたいという。目標はきわめて明確・具体的である。また、すでに一度現地調査を実施したことがあり、テトヴォ大学の知己から支援を期待できるという。現地調査を有効に活用できそうである。しかし、課題設定にやや無理があるような気がする。マケドニアは国際法の主体となってからまだ日がきわめて浅く、国の絶対的、相対的規模が非常に小さい(コソボとほぼ同じ)。そういう条件下での国際法の規範と現実との相克からどれほど一般的な結論を導き出せるか。また、「学際的アプローチが必要」として、「とくに現地だからこそ入手可能な豊富な一次資料の分析に取り組む予定」とあるが、国際法学者として何ができるか。もちろん野心的なのはよい。国際法学者としての枠を打ち破るような活躍こそ期待したいものである。

 毎年調書を見て気になるのは、現地体験のもつ意味である。留学、NGO活動家、外務省専門調査員などとしてすでに現地体験がある応募者は、当然「現地調査を有効に活用」するすべを知っている。他方で、現地体験は見聞を広めると同時に、見聞をそこに限定してしまう働きももつ。人々はしばしば自らの経験の囚人となる。自分がかつて知った人々、団体、機関などだけを訪ねて、自分が期待していた答えを引き出して満足してしまう。悪くすると「感傷旅行」に陥ってしまう危険もある。これに対してはじめて国外調査をしようとする者は現地の勝手が分からず、できそうもないことを盛り沢山並べる傾向がある。意気盛んなのはよいが、現地調査を「有効に活用する」ことはできないかもしれない。さればと言って、現地体験のある人だけを採用すれば、そもそも現地調査をする機会を新人から奪ってしまうことになる。最初は多少の無駄はあってもチャレンジしてもらうということに意味があろう。こうしたことについて現地調査の古強者も新人もくれぐれも気をつけてもらいたいものである。
 秋野賞の趣旨は、わが国の研究者、活動家の紛争解決能力を高めることである。本年度の受賞者の活躍がそれに少しでも役立てばさいわいである。

(1) Stathis Kalyvas, The Logic of Violence in Civil War (New York: Cambridge University Press, 2006), 485 pp.
(2) Adam Przeworski, "Institutions Matter," Government and Opposition, vol. 39, no. 4 (September 2004), pp. 527-540.

審査委員長 
伊東 孝之(早稲田大学政治経済学部教授)


 


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