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森田太郎(サラエヴォ・フットボール・プロジェクト代表)
 
昨晩ゆっくりと受賞の喜びをかみ締めていました。その喜びは並々ならぬ ものでありました。 今回得たものは、私にとってチャンスであり、私に課せられた挑戦でもあります。今後の私が歩む道の大きな、大きな存在に私は全力でぶつかって行こうと思います。まさしく秋野先生が「Lastサムライ」と呼ばれていた所以の如くです。


小山淑子(ブラッドフォード大学平和研究学部博士課程在籍)

 
まず、今回現場での調査を含む研究の機会を与えてくださった「秋野豊ユーラシア基金」の皆様に、心からお礼申し上げます。武力紛争の解決に微力ながら関っていこうとするものにとり、この受賞は何にも勝る大きな励ましです。現在は、フィールドに立つことが楽しみであると同時に、この研究プロジェクトを通 じ、ユーラシア地域の人々の安全保障を確保するお手伝いを自分に出来る限りしようと、身の引き締まる思いでおります。
  冷戦構造崩壊後の武力紛争は、純粋に民族間の憎悪からのみ生まれたものではなく、またクラウゼヴィッツがかつて表現したような国家の利益追求の手段でもなく、その多くが紛争当事者の個人的利益のために行われています。そして、そうした紛争下では、武器を持たない非戦闘員・人道援助職員への攻撃が戦略として故意に行われており、膨大な数の犠牲者を生んでいます。先に“人々の安全保障”と申し上げたのは、このような構造の紛争で一番の犠牲となっているそうした市民の安全をいかに確保するかということが、現在非常に大きな課題になっているからです。
  また、私にとってこの課題に取り組むことは、筑波大学時代の恩師であった秋野先生に出された問いを、少しずつ解いていく作業にも思われます。この研究プロジェクトを通 じ、そのような機会に恵まれましたことに、大変感謝しております。


湯浅剛(防衛庁防衛研究所研究員)

 
受賞の連絡をいただき、大変有り難く思っています。ご期待に添えるよう、頑張りたいと思います。
  私は秋野先生の所属された大学とは別 の大学でずっと勉強を続けてきたこともあって、先生との接点はほとんどございませんでした。主として御著作やマスコミにおける御発言を通 じて、感化を受けてきた者です。
  ですから、こういうと失礼にあたるかもしれませんが、正直申し上げて「秋野先生の遺志を継ぐ」という思いは、あまり強く抱いておりません。ただ、旧ソ連・東欧研究を志す後輩として、その先達の功績に敬意を表し、これからもできうる限り自分の学問的関心に従って、彼の地の情勢に目を見張っていきたいと思っております。
  私はペレストロイカの最中に大学でロシア語を勉強をはじめ、あの混乱と熱狂の中でただ浮かれて大学院までソ連研究を引きずってきた者です。卒論ではリトアニアの歴史、修士論文ではロシア現代政治を扱いました。今回の研究テーマではさらに中央アジアを扱うことになっております。このように、学問的には全くの漂流者であります(同世代のユーラシア研究を志している方にも、同様の学問的漂流が少なからず見受けられます。これもソ連解体の影響でしょうか)。
  これでも、ユーラシアの秩序や混乱とは何なのか、何故起こるのか、という根本的疑問を探りたいという点では、自分の中では一貫しているつもりです。私から見るに、秋野先生もまた試行錯誤を繰り返された学問的漂流者であったように思えます。こうした先生の姿勢に共感を抱きつつ、自分なりの仕事をしていければ、と思っています。



上杉勇司(南西地域産業活性化センター主任研究員)
 

  誉れ高き「秋野豊賞」を受賞したという吉報を耳にし天にも昇る心地です。今回の受 賞は、紛争解決の専門家を目指す私にとって大変光栄なことであるとともに、研究を 進めていくうえでの強力な後ろ盾を得たことを意味します。この場を借りて、このよ うな機会を設けていただきました「秋野豊ユーラシア基金」の皆様、ならびに私の研 究プロジェクトを推して下さいました審査員の皆様に心からお礼申し上げます。本賞 の名を汚すことがないよう最善を尽くしたいと思います。
  秋野先生が国連タジキスタン監視団の一員として活動中に凶弾に倒れたという悲報 を、私は選挙監視員として活動中にカンボジアで耳にしました。奇しくもこの日は、 地方への展開をいよいよ明日に控え、この地で殉職された中田厚仁氏の記念塔に手を 合わせてきたところでした。「何でわざわざ無益な殺戮を繰り返している愚かな人々 のために、自分の命を危険にさらす必要があるのだろうか。」秋野先生の死は、この 問いかけに対する自分なりの解答を真剣に考える契機となりました。そしてモザン ビークで地雷撤去作業中に右手右足を失ったクリス・ムーン氏(長野オリンピック開 会式の聖火ランナー)の次の一節がふと思い出されました。「僕は地雷の被害者では ない。僕は自分の意志で撤去活動を始め、自分から望んで地雷原に行った。ほんとう の被害者というのは、その土地で生きるよりほかに選択肢のない人たちのことなの だ。」(『地雷と聖火』青山出版社1998年)多分、秋野先生も天国にてこのように思 われているのではないでしょうか。

 そもそも私が紛争解決の専門家を志した理由には、国際協力を通 じて感覚的な使命感 の充足を味わうことができたからです。私が生まれて初めて行った紛争解決の講習会 では、クロアチアからの参加者にこんなことを言われました。「今日の講習はとって も参考になりました。クロアチアに帰ったら早速試してみます。ありがとう。」この 時は本当にうれしかったことを今でも鮮明に記憶しています。そして、選挙監視中の カンボジアでは、老人に両手を強く握り締められ「カンボジアの平和のために協力し てくれてありがとう」と言われた時には思わず熱いものが込み上げてきました。秋野 先生の遺志を継承し、時に生命の危険を伴う国際貢献を推し進めていくためには、そ の重要性を理路整然と指摘するだけでは不十分で、このような漠然とした使命感や充 実感に共鳴してもらうことが大切だと思います。その意味でも、私は「秋野豊ユーラ シア基金」の趣旨を強く支持するとともに、この研究プロジェクトを通じて秋野先生 の紛争解決への情熱を少しでも受け継ぐことができれば幸いに思います。



瀬谷ルミ子(国連シエラレオネ派遣団)

 
このたびは、自分の思い描く調査研究を実現する貴重な機会を与えて下さった秋野豊ユーラシア基金および秋野豊賞の存在に感謝致します。今回の受賞を可能な限り自分の成長につなげ、社会に還元できるようにと気持ちを新たにしております。
  この数年、機会があり私は主にルワンダの戦後復興支援、インドネシアの民主化支援等に携わっておりました。その間、日本も含めたその他の世界の様々な地域で起こっている問題の複雑さが少しずつ見えてくると共に、自分なりの立場とスキルを持ち責任を持ってその解決に関わっていきたいと感じ始めました。まだこれからも日々学習の毎日ではありますが、今では自分なりの関わり方がようやく形になってきたと思っております。今回のクロアチアでの調査研究プロジェクトは、今後の自分を支える意味でも大きな意味を持つものになることと思います。
 また今回の秋野豊賞への応募は、私にとって単に計画書を申請する以上に価値のあるものになりました。今までとこれからの自分と向き合い、自分の想像以上に多くのものを吸収することが出来ました。この機会に秋野ユーラシア基金の皆様に重ねて感謝差し上げると同時に、これからも同様に紛争解決に関わる方たちに希望と支援を与える存在で有り続けて頂きたいと願っております。またこの場をお借りして、今回の応募を含め今まで自分に協力し、支えてきて下さっている方々にも心よりお礼申し上げたいと思います。


金敬黙(東京大学大学院博士課程在籍)

 この度、第三回秋野豊賞を受賞することを大変光栄に思っております。「とてもう れしいです。」ということばに私の気持ちがすべて込まれております。未熟なプロ ポーザルを認めてくださった審査委員の諸先生とユーラシア基金、秋野先生のご家族 の皆様に改めて深い感謝の念を申し上げたいと思います。  
  しかし、この喜びは、プロジェクトを実施できるエントリーポイントに立てたこと の喜びであり、決して秋野豊賞の受賞で満足してはいけないということを十二分存じ 上げております。今でも地球上のいたるところで戦闘が行われておりますし、仮に 「紛争」という形で暴力が現れないとしても、多くの人々は暴力の状況に晒されてい ると思います。そのことを踏まえて、ユーゴスラビアをはじめ暴力に晒された人々の 平和を取り戻す作業関わって見たいと思います。そして、そのようなチャンスがこの たび与えられたことが何よりもうれしいのです。  
  今が出発点である以上、私のこの喜びは、プロジェクトを無事に完成させたときに 終わることであり、より厳密に申しますと、プロジェクトの対象となる現地の市民社 会や人々が自ら「安心して暮らせる」と認識できたときに初めて最終ゴールにたどり つけるものだと思います。そのことを考えるとこのプロジェクトは大変長い歳月と努 力が求められる難しい作業であり、その責任も重いものであるとは思いますが、だか らこそ積極的に頑張っていきたいと思います。  
  私はこのプロジェクトを通して俗に云われる「バルカンはヨーロッパの火薬庫であ る」という歴史的命題に市民社会の立場から逆らおうとしております。歴史の流れを 変えることは、決して簡単でもありませんし、外部者にできることではないかも知れ ません。しかし、平和をめざす人々の努力がそこにある以上、その努力を些細な力で はありますが外の市民社会や人々も支える当為性はあると思います。そして、そのよ うな草の根の努力が互いにリンクしてはじめて新しい可能性が見えてくると考えてお ります。過去には重視されることのなかった、個々人の多様な価値が尊重される空間 を目指して今後頑張りたいと思います。ありがとうございました。


渡辺信(法政大学大学院修士課程在籍)

 
2回目の挑戦で受賞することができ、うれしさも2倍です。学部生時代にウズベキス タンへ交換留学生として行って以来、これまで勉強を続けてきました。今回、私が受賞 できたのは、ウズベキスタンの友人たちとの交流を通じてたくさんの勉強をさせてもら い、諸先生方からも貴重な助言をいただいてきたからだと思っています。
 これからもそうした関係を大切にしながら自分の視点を確立させ、多くのことを吸収 し、研究に生かしてゆきたいです。秋野賞受賞者として今後もさらに努力してゆこう! と、気持ちを引き締めています。


江崎智絵(筑波大学大学院博士課程在籍)

 この度は、第4回秋野豊賞を授与して頂き誠に有難うございました。「秋野豊ユーラシア基金」の皆様、審査委員の諸先生方、そして秋野先生のご家族の皆様に深く感謝致します。  受賞の喜びは、心地良い開放感を味わうことであると同時に、秋野先生のご意志を受け継ぐ「重み」を実感することでもありました。今は、恩師への恩返しを果たす機会を与えて頂いたいことの感慨深さと、自分が受け継いだ道を次世代へと繋げ、社会に対して貢献することへの責任感とが交錯しています。そしてこれらを達成することが、イスラエル・パレスチナ紛争を研究する私に課せられた使命であると認識しています。
 私は今でも、初めてイスラエル・パレスチナ問題と向い合った時の衝撃を忘れることができません。「なぜ皆同じ人間であるのに殺し合うのだろうか。」以来、この問いへの解答を見つけることは私が研究に取り組む原動力となり、研究対象であるイスラエル・パレスチナ紛争は私と世界との接点になりました。自分の目で見る、足で歩く、肌で感じる現地調査を通して、紛争の解決のために自分に何が出来るのか見極め、将来への確かな糧にしたいと思います。


久保慶一(早稲田大学大学院博士課程在籍)

 念願かなって第4回秋野豊賞を受賞することができ、大変うれしく、また光栄に思って おります。  
 同じ早稲田大学政経学部で大学時代を過ごし、同じ伊東孝之先生から指導を受けている という点で、秋野先生は私の大先輩であり偉大な兄弟子です。秋野先生はタジキスタンか ら伊東先生に宛ててEメールを発信なさっており、私を含めた伊東ゼミのゼミ生もその メールを読ませて頂いていました。当時、大学院に進学しようという決意を固めて間もな かった私にとって、すぐれた学者でありかつ現実の紛争解決にも貢献していた秋野先生の 存在は大きな励みでした。秋野先生の学識とお人柄について話を聞けば聞くほど、その教 えを直接請う機会を得られなかったことが残念でなりません。
 しかし秋野先生は、現場に行って直接情報や資料を収集する機会、地域研究者にとって 最も重要で貴重な機会を私に与えて下さいました。これから研究計画に沿って調査研究を 実施するにあたり、秋野先生の名に恥じない研究にしなければという思いを強くしていま す。同時に、このような素晴らしい機会を与えてくださった秋野先生と「秋野豊ユーラシ ア基金」の皆様に、心から感謝の意を捧げたいと思います。


吉留公太(名古屋大学大学院博士課程在籍)

 秋野豊ユーラシア基金のみなさんはじめまして。この基金は、故秋野豊氏にゆかり のある方々や、その人となりに共感される会員のみなさんによって運営されていると うかがいました。秋野氏を直接存じ上げるわけでもなく、研究内容も離れていて物の 見方も違うであろう私のような計画を選定下さりありがとうございます。
 みなさんの様々な思いの込められた基金からのご支援であることを受け止め、しっ かりと研究することで、なにがしかの貢献が果たせればと思っております。


南野大介(筑波大学大学院博士課程在籍)

 第5回秋野豊賞を受賞することが出来、大変嬉しく思います。私は、大学院で秋野先生のご指導を受けて以来ウクライナの研究を続けて参りました。当初は外交が研究対象の中心でしたが、その後、研究や実務の場において民族問題、内政、経済、国際協力など多様な分野を扱ってきました。ウクライナ人、ロシア人、そしてムスリムのクリミア・タタール人が住むクリミア半島の抱える問題は、アメリカにおける9.11事件直後に読んだある新聞記事を契機に関心を持ちました。その記事は、スターリン時代に中央アジアへ追放されたクリミア・タタール人の帰還が急増し、クリミアの民族関係が複雑化することを予測し警告するものでした。同時に、クリミアでは、経済支援をはじめ民族間の亀裂の調整を行う地道な努力が国際機関やNGOによって行われていることも知りました。私は、ウクライナの中でもこのような特殊な事情を持つクリミアを通してこれまでの研究や経験を一つに結び付けられるのではと感じ、本格的な現地調査をしたいと考えるようになりました。また、単に現地調査をしたいというのみならず、紛争を予防するための研究と実践をどのように結び付けるかについて、ぼんやりとではありますが少しだけ見えてきたようにも感じました。今回、この現地調査の計画を実現する機会を与えて下さった基金の関係者に、改めて感謝申し上げます。そして現地調査から戻った後には、秋野先生の研究や実践されてきた活動に少しでも近付いたと感じられ、自分の将来に向けての一歩となるよう頑張りたいと思います。


須田将(上智大学大学院博士課程在籍)

 旧ソ連中央アジア地域研究において、最も未開拓な領域として残されているのは実は現代政治ではないか。この地域の現代史上の未曾有の大量殺害、宗教抑圧、環境破壊――。これらは一体「どのようにして」可能であったのだろうか。これまでの議論の多くはこの問いに直接答えることはなく、「だれ」や「なぜ」という問題に焦点を絞ってきた。だが、現代政治を特徴づけているのは「だれ」や「なぜ」よりも、「どのようにして」ではないか。中央アジアにおいて人々を強力な管理統制下におき、また広範な動員を可能にしてきた統治の具体的な仕組みや手法については、これまで詳しく研究されてこなかったように思う。秋野賞が、そうした問題意識をもつ私に研究を続行させる機会を与えてくれたことに感謝します


中西健(横浜国立大学大学院博士課程在籍

  滞在先のキルギスにて、受賞の報せを受けました。受賞を厳かに受け止め、提出した研究計画書にしたがって、秋野賞の名に恥じないものを書き上げる決意を新たにしました。余談ですが、ロシア語Obmoi(アブモーイ)!、キルギス語ではZhuubaisynby(ジューバイスンブ)!という語があり、直訳では「洗え!」という意味ですが、何を「洗う」かと言えば、何か良いことがあったり、新しいものを購入したときに、その幸運ないし物を特に「酒で」洗う−つまりは「酒をおごって喜びを分かち合え、さもなければ得た物が壊れるぞ」という意味だと解されます。このようにして私も、プロジェクトの成功を願って、秋野賞を何度も「洗い」ました。
 私が中央アジアに関心をもったのは、外語大の学部時代にオスマン帝国とポーランド共和国の外交関係を扱う中で、中央アジアを知り、歴史におけるユーラシア大陸の連動というものに心惹かれたのが始まりです。同時に、開発問題・南北問題という政治的かつ法的な問題に関心をもち、そのまま日本の大学院(横浜国大の法科独立大学院)にて国際法を専攻するに至りました。大学院における研究・報告の中で国際法の観点から開発協力、人権の発展について考察してきました(国際法における協力の義務、経済援助協定における民主・人権コンディショナリティの問題等)。「現地に行かねばわからぬことがある」−これは真です。実際、国際連合大学の研修(国際講座:人権と諸問題)で私が提出した論文では、ウズベキスタンと日本の政府開発援助について取り上げ、「中央アジアにおける民主の孤島」ことキルギスに優遇的な援助を与え、それが他国にインセンティブを与え、中央アジア全体の民主化・人権の発展、引いては地域の平和と安全に寄与する旨を主張しました。現在、私の考え方は、少々訂正されています。中央アジアに留学して、また地方のNGOなどでインターンをする中で、キルギスの、旧ソ連における最貧国という過酷な経済状況において、最もそのしわ寄せを受けるのは、老人・子ども・難民だと思います。キルギス語Tuuganchylyk(トゥーガンチュルック:血族・部族主義)という語があり、広義の家族(一族=トゥーガン)が互いに依存しあって生活しており、その点では、核家族化の著しいロシア人社会などとは対照的であって、通りの物乞いの中にキルギス人の老人は非常に稀です。しかし、一方で、この一族(血族)主義は、地縁主義とも相俟って、不正・暴力を許容してしまう国民性につながり、この国の開発・発展の多難であることを窺わせもします。
 最後に、キルギスの宣伝をしたいと思います。沙漠化を特徴とする過酷な自然下の中央アジアにあって、キルギスは緑が多く、平野部の都市部では冬の寒さもそれほどではなく、イシク湖、天山山脈など観光資源を多く有しています。同じ山がちの国土を持つ日本人にとってキルギスの自然は安心感を与えます。キルギス政府は、日本国籍者に対して、先進国の中で先駆けてビザ免除にしたことや中国―キルギス間の国境が複数開かれたことで今後、キルギスへ旅行する日本人は増大していくことを実際に感じています。今後とも日本とキルギスの間の人の往来が増え、両国の友好関係が促進されることを切に願います。


澤井充生(東京都立大学大学院博士課程在籍)

 この度は第6回秋野豊賞を授与していただきまして有難うございました。秋野豊先生の基金で調査研究を実施できることになり、非常に光栄に思っております。
  私は1996年頃、一度だけ秋野先生にお会いしたことがあります。当時私は秋野先生の授業履修者でも教え子でもなかったのですが、知人の紹介でお会いすることができ、二言三言言葉を交わしました。今思うとじっくりお話しできずとても残念だったのですが、そんな短い言葉のやりとりでも鮮烈だったのが、秋野先生の研究者としての真っ直ぐな姿勢でした。専攻する学問分野は違いますが、現場を特に大事にされる秋野先生の研究姿勢には深く感動した記憶があります。
 私は、中国西北部のイスラーム系少数民族の一つ、回族に関心があります。ここ数年、回族の人々が清真寺(モスク)やゴンベイ(スーフィー教団聖者墓)を中心に形成するジャマーアティ(地域社会)が中国共産党体制下でどのように変容してきたのかという問題を調査研究しています。回族の人々が、中国共産党の社会主義政策、中華民族ナショナリズム、漢族との力関係をどのように受けとめて対処してきたのかという複雑な問題を文献資料やフィールドワークで解明しようとしていますが、現場でのフィールドワークは想像していたほど順調ではありません。現地でも数少ない文献資料、警戒されるインタヴュー調査、外国人調査の制約などいくつもの障害があり、個人の無力さを痛感することも少なくありません。
 そんな状況でも、現場にできる限り密着する地道なフィールドワークを続けると、予想もしていなかった新たな知見を発見することが多く、現場の魅力(魔力?)に救われることがよくありました。その瞬間、秋野先生のいう現場主義の重要性や有効性を実感したものです。
 今回の研究プロジェクトでも、先行研究では見過されがちだった現場の人々の日常の出来事を丹念にとりあげ、それが現場を取り囲むマクロな歴史・政治・社会問題と有機的に結びつく様子を明らかにしたいと考えています。結果的として、日本における中国研究、中央アジア研究、イスラーム研究などの発展の一助となれば幸いです。最後に、今回このような機会を与えてくださった秋野豊ユーラシア基金の関係者の皆様にお礼申し上げます。

山田裕史(上智大学大学院在籍)

この度は、第7回秋野豊賞を受賞することができ、大変うれしく、また光栄に思っております。今回の応募総数は過去最高の16名と聞いておりましたので、正直なところ、まさか自分が受賞者に選ばれるとは思ってもみませんでした。受賞の吉報を耳にし、非常に驚くと同時に、本賞の名を汚すことのないよう最善を尽くそうと、改めて気持ちを引き締めています。
 本賞の歴代受賞者のなかには、私が所属する大学院の先輩方、NGO活動やカンボジアでの選挙監視活動を通じて知り合った方々がいらっしゃる一方、残念ながら私は、秋野豊先生を直接には存じあげません。しかし秋野先生が実践されたように、私も、机上の文献調査や提言にとどまるのではなく、地域紛争の現場に根ざした研究および国際貢献を行なうことを常に心がけたいと思います。
また、本研究の成果が、2年半のカンボジア留学中にお世話になったカンボジアの人々に対して、直接または間接的な形で還元できるよう、眼前の目標をひとつひとつ着実にこなし、今後も地道な努力を積み重ねていきたいと思います。
 私の調査・研究計画を認めてくださり、このようなすばらしい賞を授与してくださった「秋野豊ユーラシア基金」のみなさま、審査委員の諸先生方、そして秋野先生のご家族のみなさまに深く感謝いたします。



岸田圭司(東京外国語大学大学院在籍)

 秋野豊賞の受賞連絡を頂いた時、嬉しいという気持ちが湧き上がったと同時に、その責任の重さを感じました。私がイラク北部のクルド地域を初めて訪れたのは、1993年のことです。以来、知人にも恵まれたこともあり、毎年のように通い続けてきました。国連経済制裁下で貧困に喘ぐ人々、泥沼化したクルド政治勢力の内戦、大きな転機となったイラク戦争など、様々な現場をジャーナリストとして取材を続けてきました。現在、その経験を学術的にも意義のあるものにしたいと考え、大学院での研究活動を進めています。そこで、本賞を頂けたことは、さらに大きな励みとなります。本調査・研究プロジェクトは、私のクルド研究の中でも大変重要な位置を占めており、この貴重な機会を頂けたことに本当に感謝致します。微力ながら、秋野先生の名を汚すことのないよう、また、本賞の受賞者の一人として期待を裏切らぬよう、気を引き締めて本研究に励みたいと思います。



清水麻衣子(オーストリア・クイーンズランド大学修士課程在籍)

 このたびは、秋野賞をいただき、大変光栄に思っております。大学院での研究はとかく現場から離れて書物と一対一になりがちですが、平和と紛争解決を専攻する以上、現場と理論とのバランスを取ることが重要だと常々考えてきました。その意味で、貴基金の支援により現地調査を実現できることになったのは、このうえない喜びです。私は、秋野先生は直接には存じ上げませんが、当時、大学で平和学や国際法を勉強していたこともあって、当時のニュースは今でも鮮明に覚えております。
 将来、現場に近いところで働きつつも、その時々の現場の風潮や感情に流されすぎず、ある意味冷静に、マクロな視点からアカデミックな分析もきちんと出来るような人材になりたいと考えております。そのためには、大学院での研究活動に力を入れつつ、現場に出てもすぐに活動できるよう、しっかりと体力面・安全面での準備もしてまいりたいと考えております。


安藤由香(大阪大学大学院在籍)

 受賞の連絡をいただき、喜びを噛み締めています。私の研究計画を評価してくださった貴基金関係者の方々に深い感謝の念を申し上げます。
  私は東ティモールにおける治安制度構築について研究していますが、丁度、現地調査をする必要性を痛感していた折に、このような機会を与えていただき大変嬉しく思っております。また、この名誉ある賞に選ばれたことは、研究者を志す一大学院生である私にとって、今後の研究生活の大きな励みと支えになります。
 残念ながら、私は秋野先生とお会いしたことはありません。ただ、悲報を知らせる報道を通じ、先生の志に触れ、感銘を受けたことは鮮明に記憶しています。最近の東ティモール情勢は混乱の様相を呈しています。今回の調査を通して、東ティモールの治安確立に間接的ながらも貢献できるような研究を目指すことが、先生や基金の皆様に対して、私のできる恩返しであると考えています。先生のご家族、審査員の先生方、基金を支える関係者の方々のご期待に応えるよう努力する所存です。


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