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 ウズベキスタンでのある出会いから

 「この人は、いわば第2のアリシェル=ナヴァイーとも呼べる方で、わがウズベキスタンの国民英雄なんですよ」という関係者の美辞麗句に取り巻かれ、某ウズベク詩人は、『そうだろう。そうだろう』といった表情で遠くを見つめる視線。吸っていた煙草をポイッと捨てようとすれば、付き人がサッと灰皿を差し出すようなエライ人。私も取りあえず写真を撮らせてもらい、談笑する。  
  アリシェル=ナヴァイーとは15世紀チャガタイ文学の巨星で、その存在は世界的にも有名である。そして、現代ウズベクにおいては、いわばチムールに匹敵する国家的シンボルとして祭り上げられている。一方、この『第2のアリシェル=ナヴァイー』は、その『国家的シンボル』の部分のみを具体的に演じ、愛国心を鼓舞する『国民詩人』的存在と言えるだろう。つまり、独立後のウズベキスタンにとって愛国的な詩や作品を発表し、大統領に寵愛され、マスコミにも頻繁に登場する人物である。この詩人が決定的に国家建設と無縁ではないのは、新生ウズベキスタン国歌の作詞を担当したということが物語っている。  
  私は今、『現地調査』の醍醐味を味わっている。この日、私の研究テーマには不可欠な取材のため、『共和国民族文化センター』を訪れた。『民族文化センター』には大きなコンサートホールがあって、ウズベク・カザフ・キルギス・タジクの各民族出身である詩人や歌手、そして演奏家が集い、中央アジア各国の独立10周年を祝う催しが行われていた。  
  会場は満員だったが、私はこの『民族文化センター』で重要なポストに就く人物とこれまでに親しくなっていたので、前列の『貴賓席』に座らせてもらった。そこで隣に座ったのがこの『第2のアリシェル=ナヴァイー』だったのだ。私はこのウズベク詩人のことはテレビでしか見たことがなかったが、コンサートの最中に会場を抜け出されたので後を追い、「日本から来ました」と自己紹介すると、とても気さくに接してくれたのである。しかし、気になったのは、この人物を取り巻く周囲の関係者たちの態度であった。彼らは皆、この人物が政府の要人であり、しかも現代ウズベクのイデオロギー形成とでもいうべき重責を担っているということを百も承知している。皆が胡麻を擦っているような言葉を投げ掛けている。しかも、本人は『愛する祖国の大地』に煙草のポイ捨て。私はその行為を感心できなかったが、親しく接しようと努めた。  
  やがて、コンサートが終わると、各民族の出演者たちがそろって旧市街のチャイハナへ行き、夕食を共にするという。私も誘われたので、もちろん同行した。私を誘ってくれたのは中央アジアの朝鮮民族出身の詩人だった。  
  夕食会は、ウズベクでのこうした催し物の常として、とても豪華だった。山と積まれたザクロなどの果物やお酒類に前菜。前菜にはもちろん馬肉は欠かせない。イスラム教といってもウォトカやワインは当然のように並ぶ。さらにスープからメインの肉料理まで、鱈腹食べるとはこのことかと思うほどのごちそうだ。  この夕食会でも、かのウズベク詩人は、主催者代表ということで、率先してウオッカをあおり、饒舌に乾杯の辞を述べた。最もいわゆる『文化人』なのだから、自分の世界を持つということは大切なのかもしれないが、この人物の乾杯の辞は長すぎた。カザフの国会議員に続けさまにウオッカを注がれながらも観察していると、参加者たちが目と目で合図しながら、このウズベク詩人のあいさつに少々困惑していることがわかった。やがて乾杯の度に、誰からか上手に彼のあいさつを区切るよう言葉が投げられ、皆は安心して杯を交わし、料理に手をつけるようになった。私のとなりに座った若いウズベク人男性は、「彼は酔っ払うとだめになるんだ。恥ずかしいね」とこっそり教えてくれた。
 さらに乾杯が続く。そして、この夕食会でたった一人の日本人である私に乾杯の辞を言う順番が回ってきた。私はウズベク語で簡単な挨拶をしてから、後はロシア語で語り、皆からのリクエストで日本語の歌をうたった。と、いっても、咄嗟に出てきたのは『さくらさくら』であったが。中央アジアの春を感じさせるのは杏子の花で、日本では桜です。などと能書きを付け加えることで下手な歌をカバーした。  
  すると、かのウズベク詩人は私の歌を気に入ってくださったようで、酒臭い息を吹きかけながら、私の右手を取り、ブルンブルンと上下に振って握手、握手。テレビで見る厳しい表情の人物とは全く違う印象を私に与えた。しかも、酔っ払うと、彼の話は全部ロシア語になった。普段、ウズベク語で祖国についての詩を朗々と読み上げる姿とは対照的で、私としては仮面が剥がされた姿を見るようで嬉しくなってしまった。やがて、宴はキルギス出身の若い女性歌手たちの歌で最高潮に達し、上機嫌のウズベク詩人は付き人や関係者に付き添われ、チャイハナを後にした。  
  この日、私はかのウズベク詩人の隠れた素顔を知ることができた。また、何人かの関係者と親しくなり、文献を貸していただく約束をしたり、今後の『民族文化センター』でのイベント情報などを知ることができた。しかし、最も勉強になったのは、人々の『権威』への接し方の一例を知ることができたことであろう。彼らは、こちらが恥ずかしくなるような台詞も、『権威』に対しては積極的に使うのである。そして、内心では自尊心を保護する。これは、社会主義時代もイスラム教が生き続けたひとつの要因なのではないだろうか。しかし、この他にも、こちらの人々と接していて感じるのは、『お上には反抗しない。長い物には巻かれろ』という行動スタイルや発想である。  後日、ウズベク人の友人にこの日の出来事を話すと、次のように語ってくれた。「第2のアリシェル=ナヴァイーだなんてとんでもない。彼はね、ソ連時代は共産党に仕えてきた人で、今ではウズベク政府に仕える御用詩人なんだ。だから裏切り者さ」こうした意見を述べる人は決して少なくない。私は、このウズベク詩人に接してそんなに悪い気はしなかった。そして、むしろ一学生にこんなふうに接してくれる彼に対し、ウズベク人特有のおおらかさを感じたものだ。  
  しかし、『愛国心』を鼓舞する人間に限って安全地帯から出ず、他者をもって『愛国心』のために死に至らしめてきたという、日本も経験したこれまでの歴史を振り返ると、やはりこうした存在を賛美するわけにはいかない。しかも、その鼓舞する側は常に姿を変えて現れるからだ。  
  こちらでの『現地調査』は日々が新しい出来事の連続で、日記を書き続けるだけでも大変という毎日が続いている。



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